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小学校で留年のない日本と落第させるフィリピンの違いを考える。年齢に応じて進級してしまうことの不幸。

2020年10月18日教育システム

目次

能力がないのに進級するのは、かわいそうじゃない?

日本で英会話を教えているフィリピン人講師と教育制度の話になった。その中で、フィリピン人に言われた一言が冒頭の「次の学年に進級する能力がないのに、進級するのはかわいそうじゃない?」だ。

私の稚拙な英語力で、なんとかそのようにヒヤリングをしてみた。聞けば、フィリピンでは義務教育の規定が厳格で、授業日数の20%以上欠席した生徒、進級テストで75点未満の赤点を3つ以上取った生徒は小学生でも落第をするそうである。

日本では小学生の留年は聞いたことがない。調べてみると原級留置という制度があるようだが、大病を患ったなど極めて例外的な場合に用いられているにすぎないようだ。

今は死語かもしれないが、高校で留年することを「ダブる」と呼んだ。実際にかつて高校生で個別指導塾の門を叩く生徒は「ダブった」者が多かった印象だ。日本では落第することを極度に嫌う。みんな自動的に中学校にあがっていく。万が一あがれない生徒がいれば、好奇の目で見られることだろう。

それが普通だと思っていた。

自動進級は本当に幸せか?

ここで、ふと自動的に進級していくことは本当に幸せか?と考えてみた。小学校高学年になって九九の暗唱が曖昧な生徒が実際にいる。中学生になると、学校の英語の授業にまったくついていけず、答案用紙にウソすら書けない生徒も割と多数存在する。(嘘でも埋めればいいというスタンスも全く関心はしないが…。)

その学年でマスターすべきことがマスターできていないのに、進級してしまうと学校教育の中ではその単元を学習する機会はほぼないと言ってよい。(だから塾が存在できるともいえるのだが。)

自動車教習所では、技術が未熟であれば、教官のハンコが貰えない。なぜならば、不十分な技量で公道に出れば周りを巻き込んだ事故を引き起こすからだ。

同様に小学生にもその原則を及ぼすべきか?日本ではその年度の4月2日生まれの子どもから、次の年度の4月1日生まれの生徒までが同学年になる。幼少期の1年の成長差は実に大きい。同じ2歳といっても2歳1カ月では全く話せない子どもいるし、2歳11か月ともなると恐ろしい言語能力を備える者もいる。

そこまでの能力差を無視して自動的に進級していくことはよく考えると非常に乱暴なことかもしれない。できるようになってから次に行く。これこそが憲法の掲げる普通教育の理念のようにも思える。

確かに、留年者が続出すると、義務教育を10年、11年と受ける生徒も発生しコストは嵩む可能性は高い。しかし、高等学校や大学、さらにビジネススクールやロースクールなど高等教育機関になればなるほど、留年率はあがることを考えると制度的に無理という訳ではなさそうである。(あるロースクールなどは留年率40%を記録することもあるそうである。)

教育においては、幼少期こそ重要である。

教育に同じだけ出資をするならば、幼児期に投資するのと、高校生、大学生といった青年期に投資するのでは、幼児期に投資する方が費用対効果が高いとする研究結果が認めらるそうだ。(※ジェームズ・J・ヘックマン著:『幼児教育の経済学』もっとも、幼少期に読み書きそろばんを習わせることを幼児教育とは呼んでいませんので、念のため。)

そうだとすると、小学生、場合によっては幼稚園の段階で、修得すべきことが習得できていない子どもは何度でも同じ教育が受けられる体制の構築、逆に理解力が高い子どもはどんどんと先取りできるような制度こそが、日本の国力をあげていくのではないか?と考えた次第です。

同様に同じ地域に住む、同じ年齢の子どもをまとめて教育するやり方も富国強兵の時代ではないのですから、そろそろ見直すべきなのではないかと思う今日この頃です。

結局フィリピンの方が進んでいるのか?

こうした、原級留置と飛び級制度を組み合わせたフィリピンの教育制度によって、日本はいずれ国力でフィリピンに負けていくのでしょうか?

フィリピンがこのような制度を採用した背景を調べてみました。フィリピンでは、まだまだ貧困な層も多く、就学年齢に達したからといって、全員が学校に通える訳ではないようです。したがって、家庭の事情で途中から学校に通う場合は年齢に関係なく幼稚園からのスタート。
 
 義務教育には年齢主義と子どもの能力に合わせた過程主義のふたつがあります。日本は年齢主義、フィリピンは過程主義。たとえ10歳でも義務教育を受けていなければ幼稚園に入園します。(それはそれで、同級生同士話しが合わなそうでもあるけれど。)

しかし、過程主義を取っている背景には、貧困問題が大きく関係していそうです。同じ年齢になっても一律に学校に通える生徒は稀なため、過程主義を採らざるを得ないのかもしれません。ただ、サラリーマンにも成果主義をと言われる時代になってきました。年齢主義を採り得る日本においても、過程主義を導入すること、または本人や親の意志で過程主義を採り得る選択肢を残すことが大切なのではないでしょうか。

みなさんはいかがですか?コメントをお待ちしています。

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Posted by peroparo