子どもを「ご褒美で釣る」ことは悪か?最新の教育経済学が示す驚きの考え方とは!!
うちの子どもが、今度のテストで順位があがったら、
スマホを買って欲しいと言うのですが、勉強の成果に対して
モノを与えることに抵抗があるのですが、大丈夫なのでしょうか?
モノで釣るといった感覚に抵抗を覚えていらっしゃるのですね。
ご褒美の与え方には悩まれる親御さんが多いですので、無理も
ないと思います。
子どもへのご褒美の与え方について、ご質問をいただくことは非常に多いです。学ぶことが本分の学生は、勉強は何らの見返りなしに無条件にがんばるもの!!という考え方も根強く残っていますし、ご褒美があれば勉強を頑張るけれど、なければ頑張らない子どもにしたくない。一度ご褒美を与えるとどんどんとエスカレートするのではないかなど、心配や疑問は尽きない問題だと思います。今回は少し科学的にご褒美の与えかについて考えてみたいと思います。
この記事を読み終わった後には、我が子にどのようにご褒美を与えればよいか、わかっていただけるのではないでしょうか。
子どもをご褒美で釣ることは悪いことなのか?
自分自身の子ども時代いわゆる昭和の考え方では、子どもをモノで釣ることは悪いことだと捉えられていたと思います。勉強はやるのが当たり前。何かを頑張ったからといって何かものを貰った記憶はありません。
足のあまり速くない私に対して、60名参加するマラソン大会で12位以内入賞を果たしたら念願のベッドを買ってもらえるという約束をした一回を除いては。(これは、妹が3位に入るという快挙により、案の定入賞を逃した私もおこぼれに預かりました。でも間違いなくいつものマラソン大会よりは燃えていた記憶はあります!!)
子どもをモノで釣るという考え方について、令和の時代にはどのように考えますか?別記事でも書きましたが、「モノで釣られる」のは、水族館で芸をするイルカと変わりません。イルカショーを見ていると、ジャンプした後、ボールにタッチした後は必ずサバやアジを餌として貰っています。イルカたちは自分の芸を見て欲しくて飛んでいるのではなく、飛ぶと餌にありつけるから飛んでいるのです。(そうではないイルカさんがいたら、ごめんなさい。)
モノで釣ることの弊害
まずここで、子どもをモノで釣ることに否定的な考え方を紹介します。モノで釣るということを繰り返していると、物事の価値観を変容させてしまうといった意見があります。「勉強をするのは、お金や物をもらうため。」という意識が強くなり、そのもの自体の楽しさや、勉強の楽しさを知ることができなくなってしまいます。また、「勉強とはご褒美がないとやれないくらい嫌なものだ」という認識が出てきてしまう可能性が指摘されており、モノで釣ることは悪だと主張されます。
ところで、人間は仕事をして、お金を稼がなくては生きていけませんが、仕事は何のためにしているのでしょうか。就職にあたって少しでも給料が良い会社、福利厚生が充実している会社を血眼になって探す就活生もいますが、就活生は金やモノに釣られているのでしょうか?毎日満員電車に揺られて決まった時間に出社し、デスクに向かう。でも報酬は何もなしだよと言われたら、明日から会社へ行くことはやめますか?やめてしまうならば、我々の仕事は金とモノに釣られていることになってしまいそうです。
ボランティア活動から考えてみる
ボランティアとは「自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為」と言われます。基本的には見返りなしの無報酬で行われます。すなわち、モノに釣られていない状態です。
これについて、様々な心理学実験がされていますが、ある1時間の清掃活動を100人の老若男女に依頼し、その内の50人には作業終了後に1000円を謝礼として渡すことを伝え、残りの50人には何も与えませんでした。その結果、謝礼を受け取ったグループは1時間が経過すると一様に作業を終え、1000円を貰って帰りましたが、何も貰えなかかったグループは1時間が経過しても、清掃に区切りがつくまで、自主的に清掃を続け、きれいになった現場を見て満足そうに帰っていったという実験があります。
同じ作業でも報酬が発生すると、人はその報酬を目的とするようになる。一方無報酬の場合は、人の役にたつ、社会の役にたつといった気持ちの部分を優先し、作業効率や作業量は増えることがわかっています。モノで釣らない方が、より良い結果が得られるという実験結果と評価することも可能です。
もっとも、後者のグループが何も報酬を得ていないのかについてはさらに深めて考えてみると、別の見方もできます。ボランティア活動によって、人の役に立てた、社会に役に立てたという喜びは、金銭的な報酬ではありませんが、喜びや満足感という精神的な報酬は受け取っていることになります。ボランティアに従事する人は、精神的な報酬が欲しくて行動をしているという仮説を立てると、およそ何らかの報酬を得ずに人間が主体的に動くことはないと考えざるを得ないような気もします。
学力の「経済学」的な見地からはどうだろう?
ここまでで、話を終えてしまうと、やはり子どもをものや金で釣ることは良くないことだ!!という結論に落ち着いていきますが、かつてベストセラーになった中室牧子著『「学力」の経済学』に同じテーマが扱われていたため、さらに考察を深めていきます。教育経済学について書かれた非常にためになる本です。興味がある方は、ぜひ読んでみてください。
将来を考えると、ちゃんと勉強した方が良いこと。こんなことは子どももわかっています。でも、遠い将来のことよりも、今が大切なのです。勉強をせずに今楽をしたい。今ゲームをしたい。遠い将来の満足より、近い将来の満足を人間は優先してしまうのです。
私自身も、この仕事は前もってやっておければ、絶対後から楽だよな。でもちょっと今は休憩と後回しにしてしまうことはよくありますので、子どもを責められません。
しかし、このような状況を作り出さないためにはどうすればいいか。人間は目先の利益を優先してしまう生き物なのですから、今勉強をすることが目先の利益になっていなければ、主体的に勉強をするという結果は得られません。そこで、勉強すれば〇〇を買ってあげる。100点をとれば1000円をあげるよというように、今の勉強を利益化しているのです。
このように考えると、人間という生き物の性質である以上、モノや金で釣ることも致し方ないと思えなくもありません。
どのように釣ればいいのか?
人間は目先の利益を優先しがちである。 ↓ 今すぐに勉強することに目先の利益はない。 ↓ 勉強は後回しにしたい。
勉強をしない子どもの思考プロセスは上の通りです。それを下のように変えてあげなければなりません。
人間は目先の利益を優先しがちである。 ↓ 今すぐに勉強することこそ利益をもたらす。 ↓ 今すぐに勉強に取り組む。
勉強をしたことに対して、ご褒美を与えることの是非はさておき、もしご褒美を与えるとするならば、どのような与え方が良いのでしょうか。
これについて、ハーバード大学のフライヤー教授が「インプット・アウトプットアプローチ」と呼ばれる実験を行いました。ご褒美を与える時に、インプットすなわち、本を読む、宿題を終える、学校にちゃんと出席するといった勉強の過程を達成することを条件にするものと、アウトプットすなわち、学力テストで100点を取るや通知表の成績などがよくなったことを条件とするものの2つで、どちらが、子どもの学力をあげる効果があったのかを調べたのです。
みなさんは、どちらだと思いますか?確かに、本を読む、宿題を終えるといったインプットにご褒美を与えた場合、真面目に読んでいるか不明、宿題もただノートに書きなぐっただけで、効果があがるかはわからないようにも思えます。一方、テストの点数などの結果、すなわちアウトプットにこだわってご褒美を与えた場合、子どもは直接的に成績をよくすることを目的にするため、効果があがりそうにも思えます。
しかし、結果は逆でした。学力テストの結果がよくなったのは、インプットにご褒美を与えた場合でした。それでは、なぜアウトプットにご褒美を与えた場合、学力向上に繋がらなかったのでしょうか。この理由は、簡単です。テストの点数をあげれば、ご褒美が貰える。結果はわかっていますので、モチベーションも当然あがります。しかし、そのためにどうすれば良いのか、具体的な方法は示されず、自分で考えなければなりません。一方、インプットの方は、目の前の本を読めばいい、宿題をすればいい、やるべきことは明確です。何をすべきかという点について、学校の教師や親が適切に指示できていれば、それをやりさえすれば、効果はあがります。そして、それをやれば、ご褒美が貰えるのですから、目先の利益になっているのです。
一方、とりあえず結果を出しなさいと言われた場合、多くの生徒に見られることですが、おもむろに教科書をノートにまとめたりしだします。しかし、その勉強は学力UPに有効なのでしょうか?そこが問題です。したがって、アウトプットにご褒美を与えても勉強の仕方が指定されないゆえに、学力UPに繋がらないのです。これを回避するためには、たとえば学習塾を活用することがあげられます。学習塾はその生徒の弱点を見抜き、どこを強化することで学力があがるのかを分析することの専門家です。したがって、学習塾からは何を学習すべきかのノウハウをたくさん享受すべきです。
話はそれましたが、もし、勉強に対してご褒美を与えるのならば、インプットに対して与えることが有効だと立証されました。
モノで釣ると、そのもの自体の楽しさや勉強の楽しさを阻害するのだろうか?
やりたくない勉強のインプット部分を目先の利益化し、勉強をさせることに成功すれば、将来の収入が増加するという効果は期待できますが、冒頭でも触れた反対意見、すなわちそのもの自体の楽しさや、勉強の楽しさを知ることも阻害してしまうのでしょうか。そうだとすると、モノで釣ることを考え直さなければならないかもしれません。
先ほど、清掃ボランティアについての心理実験について紹介しましたが、報酬がある場合とない場合ではそのもの自体への興味関心は失われてしまうという結果が得られています。しかし、フライヤー教授はこの点についても検証を行っています。心理学の手法を用いてご褒美の対象となった生徒とならなかった生徒の「一生懸命勉強するのが楽しい」という気持ちの有無を調査したところ、統計的に大きな差は認められなかったというのです。
これはかつての塾生にも言ってきたことですが、嫌々でも良いから、まずは机に向かって勉強を始めて見ること。そうすると、始めは嫌でも考えるというサイクルに入ると、脳は思考を始め、集中状態に入っていけることがわかっています。5分でいいからやってみようと始めると、結構没頭できて、気づくとあっという間に一時間経っていたということもよくあることです。だから、まず始めること。気分が乗らないなどと始めなければ、結局勉強時間はゼロになってしまうため、学習習慣が全くない生徒などは、親子そろった勉強タイムを設けることなどもおすすめしています。
そうすると、モノで釣ろうが、金で釣ろうが、まずは勉強へ向かわせること!!このことが最も重要なようです。
お金で釣ってもいいのか?
今まで見てきたように、勉強のインプット部分にご褒美を与えることに学力向上の有効性が認められたとしても、ご褒美をお金とすることは、教育上問題はないのでしょうか。
ご褒美を与えるとしても、それはお金ではなく、親が子どもを褒めてあげるなどの方がよいといった意見もあります。確かに、子どもが低学年のうちは、トロフィーやメダルやステッカーといったものの方が喜ぶ傾向にあるようです。現に私も小学生へのご褒美用のステッカーを大量に用意し、宿題をやってきたらシール1枚などと渡しています。
しかし、小学校高学年から中高生になると、そのようなものではなかなか釣られてくれません。この点につき、フライヤー教授は最後にこの点も調査してくれています。それによると、ご褒美にお金を得た子どもたちは、お金を無駄遣いするどころか、きちんと貯蓄し、娯楽やお菓子などに使うお金を減らすなど堅実な使い方をしていたことが明らかになりました。
毎月、決まった金額のお小遣いやお正月にお年玉を与える家庭は多いと思いますが、これは一方的に与えられるだけです。自分の行動の成果として得られたものではありません。なくなれば、また頼んで貰えば良い浪費できるものに過ぎません。しかし、本を読んだ対価として、宿題をがんばった対価として得られた報酬は自分でつかみ取ったものです。おのずと使い方も慎重になるというのです。
日本人は金融リテラシーが非常に低いと言われます。金利が0.001%しかつかいない銀行預金にお金を入れ続ける。還元率が50%を切ってしまう宝くじを喜んで購入するなど、お金を運用する仕組みに対しての感覚が非常に希薄だと言われます。そうだとすると、釣られて得たお金をどのように管理するか、どのように増やすのか、といった点をこれをきっかけに話し合い、金融教育に活かすことも有効なのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
やる気がない子どもに勉強させるためのご褒美の与え方とは?
目先のゲーム、漫画などに逃げてしまいたくなるやる気がない子どもに勉強をさせるために、どのような手順を踏むべきか、結論としてまとめておくことにします。
- 我が子の学力や学習状況からするべき課題を見つける。
- その課題ができたら、ご褒美を与えることを約束し、できたことを確認してそのご褒美を与える。
- 銀行口座を開設し、資金管理を一緒に考えてみる。
学力の経済力の内容をかなり参考にさせていただきました。他にも興味深い内容が盛りだくさんですので、ぜひご一読ください。Amazonなら試し読みもできるようです。
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