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自由権と社会権は何が違うの? 今さら聞けない公民②!!

2020年12月24日公民,社会

憲法を学習していると人権という概念にぶち当たります。人権とは、人間が生まれながらにして持つ権利と言われます。人権を既にもった状態で生まれてきた我々にとって、人権獲得の歴史を理解することは難しいものです。しかし、かつては、生まれれば当然に享有できたのではなく、それを国王やその時の権力者から奪い取ることで獲得してきました。日本で生まれ育つとあまりイメージしにくいですが、もっとも大切な人権とされたものは、信仰の自由でした。日本国憲法でも20条に信教の自由が明記されていますが、人権を理解する上において、個々の人権ももちろん大切ですが、自由権、平等権、社会権といった大きな枠組みでのイメージを持つことも大切です。

そこで、今回は、自由権と社会権の違いについて説明をしてみたいと思います。

目次

自由権ってどんな権利?

かつて、ヨーロッパ諸国はアフリカから大量の黒人奴隷を輸入しました。そして、あなたが権力者だと仮定すると、奴隷をどのように使いたいですか?一番都合が良いのは、民や奴隷が朝から晩まで文句も言わずに働き、自分は莫大な富を手に入れることだと考えられます。そのためには、民や奴隷は食うや食わずの状態でいつまでも働き続けてもらわなければなりません。したがって、奴隷が逃げないように、決まった場所で生活させ、自由に出かけることも、自由に食べたり、眠ることも禁止です。

これは、人権が認められた生活とは正反対の状態です。よって、人権獲得の歴史は、この自由を獲得することが悲願でした。どこに住み、どこへ行くか、どんな宗教を信じ、何を発言しようとも国家に咎められることはない、そんな社会を目指しました。

こういった人権を行使した場合に、国家は決して介入をするな。国民の自由を尊重しろ!!という内容を持つものを人権の中の自由権と呼びます。日本国憲法では、19条の思想良心の自由から始まり、20条の信教の自由、21条の表現の自由、23条の学問の自由までが、自由権の代表格と言えます。何を信じ、どのような信仰を行おうとも、国は邪魔をするな。大学において、真理を探究することは時の権力にとってどんなに都合が悪かろうと、妨害することは許されない。自分の主義主張を広く世間に発表することを国家が邪魔してはいけないし、特定の表現をしたことによって、いかなる差別的な取り扱いも受けないことの保障が自由権の中核といえます。

自由権を保障する約束を国王が破ったらどうする?憲法の果たす役割とは?

そして、ある時の王様が仮にそのことを認めたとしても、次の王様がその約束を破ってしまっては意味がありません。したがって、国家は人権を侵害してはいけないということを約束し、約束の証拠を残そうと考えることは自然なことです。そして、その約束の証拠をいったいどこに留めているのかと言えば、「憲法」という名の法典に留めることにしたのです。

法というと、憲法だけでなく、民法や刑法、民事訴訟法や刑事訴訟法などの名前を聞いたことがあるかと思いますが、憲法は国家が国民の人権を傷つけない約束という性格を持つ点で、他の法律と方向性が異なります。刑法などは、人を殺した者は死刑にする(刑法199条)といったように、国民の権利や自由を制限する方向のことが書かれていますが、憲法は、国民が国家に対して、国民の自由を侵害するな!!ということこそが、根源的な意味になります。

人権を絵に描いた餅にしないために 憲法が最高法規と言われる理由は?

ところで、国王がそれを破って国民の人権を侵害したらどうなるのでしょう?今の日本であれば、日本政府や市役所からの指示が人権を侵害するような場合です。それに対して、何のお咎めもなしならば、憲法に書かれている人権は絵に描いた餅となり、意味をなしません。したがって、国王の行為が人権を侵害した場合、その行為は無効となったり、取り消されるべきもので、何ら意味を持たないことにしていいと、これも長い時間かけて権力者から奪ってきました。それでも、国王は万能であり、憲法などという法に拘束されるいわれはないなどという王様もいたことから、憲法は国王の権限よりも何よりも優越する最高法規であるものとされました。

こうして、時の権力者という人の支配ではなく、人権保障を内容とする憲法という法の支配を確立させることにより、人権を保障する制度が築かれれてきたのです。

自由権と社会権の違いとは?

それでは、人は国家権力から自由になれば、人間らしい豊かな生活が送れるのでしょうか。たとえば、財産を自由に持つことができるようになり、商売も自由に行えるようになっても、すべての人間が儲けることができるわけではありません。事業に失敗して倒産すれば、次の日からのご飯にありつけない人が出てきます。

その時に国はその人を放置すべきでしょうか?人権のもともとの考え方、国家は国民の領域に踏み込むな!!という大原則からすると、同じように経済的活動をする機会を与えた以上、それに失敗しても国が何ら手を差し伸べる必要はない。反対に手を差し伸べることは国民の活動に国家が介入することになるため、国が助けてはいけないとする考え方もあります。

ただ、そのまま放置すれば、窃盗や強盗といった犯罪が増えることや、飢え死にや自殺といった結果が頻発することも考えられます。そこで、一定の保護を国家がすべきではないか、国民は国に対して、助けてくれ!生活を救ってくれ!と援助を求めたり、援助金を請求することができ、国の援助によって豊かな生活を実現すべきではないかという意見が出てきました。コロナウイルス感染症が流行した時に、国民一人当たりに10万円が給付されましたが、生活に困ったから、10万円をくださいと国にお願いできるこのような権利こそが、社会権と呼ばれるものです。

日本国憲法上の社会権にはどのようなものがある?

日本国憲法では、25条1項に生存権、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条1項)、労働基本権(28条)が規定されています。経済的な貧困で生活が苦しければ生活保護を受給することができますが、生活保護が給付される根拠はこの生存権という社会権が憲法に存在するからなのです。

そして、世界ではじめて社会権を憲法の中に取り込んだものが、1919年に制定されたワイマール憲法です。公民や世界史を学習するとワイマール憲法は頻出の重要用語ですが、なぜ重要かといえば、世界で最初に社会権を確立した憲法だからです。人権獲得の歴史は、国民の箸の上げ下ろしにまで介入してくる国王の権力を奪い、国王から自由でいたいというものでした。しかし、まったくの自由にされても、うまく生きていけない人間もいるということに気づき、国民から国家権力に対して、「〇〇をしてください!!」と再びお願いしていく構造が社会権の起源なのです。

その意味で同じ人権という枠内にありながら、両者ではその性格が正反対になります。ここをしっかりと押さえておく必要があるのです。ここからは少し進んだ議論になりますが、この性格の違いがどういう部分に影響してくるかというと、裁判所のもつ違憲審査権を行使する場面となります。

一歩前へ!!違憲審査基準って何?

ある国の行為が自由権を侵害してる場合、たとえば、大学教授がある研究をする場合にそれを国が禁止するようなことは、憲法23条の学問の自由に反しますが、自由権侵害にあたるか否かを裁判所は非常に厳格に判断していきます。一度侵害が許容されてしまうと、後戻りはできませんから。

一方、お金がなく、生活に困った人が生活保護の受給を申請したところ、認められなかったとしましょう。この場合、生存権を保障した憲法25条1項違反で裁判所に判断を求めることができますが、社会権の侵害の場合、本来的には国が義務として行うべき事項ではない以上、国の裁量権が広く認められ、生存権に違反しているかどうかという判断は多分に公権力側の事情も考慮した形で判断がされます。

と最後は、少し難しい内容にも踏み込みましたし、実は自由権に類型化される人権にも、自由権的な側面と社会的な側面があるなどと、もっと議論は細分化されていくのですが、これは法学部で学ぶことなので、ここまででやめておきます。

ただ、一口に人権といっても大きく分けて自由権と社会権に分けられるということは押さえておいてください。

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昔読んで、おもしろかった憲法の本です。でももう廃盤なのでしょうか?amazonで中古のものがあるだけでしたが、こういうざっくりとした読み物でイメージを膨らませるのはいいと思いますよ。

2020年12月24日公民,社会人権,公民,社会権,自由権

Posted by peroparo