精神的自由権と経済的自由権を区別する意味って何?自由権と社会権の区別に続き、自由権の中身を掘り下げます!!
先日、自由権と社会権の区別について書きました。自由権は国家権力から放任される権利、社会権は国家権力に対して請求する権利という大きな区別をわかっていただけかと思います。しかし、今度は自由権の中でも、精神的自由権と経済的自由権という区別が存在します。いったい精神と経済を分けることにどんな意味があるの?その疑問を解決していきたいと思います。
精神的自由権とは?
私たちが個人として尊重され、人間らしく生きるためには、自由に物事を考え、行動できることが重要です。したがって、何を考えるのか、何を発言するのか、どこにいって何をするのか、これらのことは国家権力から干渉される理由はありません。したがって、よく警察官に職務質問されてしまうあなた?!あなたがどこで何をしようが、本来警察官にとがめられる理由は何もないのです。ましてや、荷物の中身を聞かれたり、見られたりしたことがある人は、これこそ国家権力の暴力です。自由権の中でも身体の自由(憲法31条以下に規定)を侵害している可能性がありますので、毅然とした態度で、人権侵害の可能性があるので、弁護士に連絡します!!と言い放つべきなのです。
では私はというと。学生時代たまに自転車に乗っていると盗難自転車ではないかと警察官に呼び止められることがありました。法学部の学生ですので、心の中では猛然と戦っています。
自転車から降りて、防犯登録の番号を見せてもらってもいいですか?
(何の権限があって、人に停止を求めているのだ?怪しいからと言ってそんな質問をしてくることは、国家権力の横暴だ!!断固として拒否してやる!!)という気持ちはさておき、
ご苦労様です。確認してください。自転車の盗難ってやっぱり多いんですか?
ご協力感謝します。あなたの自転車で間違いないですね。
そうですね。近頃自転車の盗難が増えていますので、お気をつけください。
無駄に喧嘩しません。言い返してかえって揉めるのは怖いですから。権利行使はいざという時までとっておくスタイルです!!
話はそれましたが、自由な行動が規制されそうになることを禁ずるのが自由権の正体です。そして日本国憲法が保障している精神的自由権の中には、次のようなものが定められています。
- 思想良心の自由(第19条) 自分で物事を考え判断する自由
- 信教の自由(第20条) 宗教を信仰するかしないか、どの宗教を信仰するかを自分で決める自由
- 集会・結社・表現の自由(第21条) 人々が集まる、団体を作る、意見を発表する自由
- 学問の自由(第23条) 自分の好きなテーマについて研究し発表する自由
周りに何らかの形で表現しない限り、自分の頭の中で考えるだけであれば、絶対に自由です。どんなにひどいことや犯罪に関することでも、頭の中で考えているだけで不利益を受けることはありませんので、安心してください。しかし、まだ実際に行動に起こさなくても、犯罪の予兆があっただけで、逮捕され裁判で裁かれてしまう、そんな世の中になったらどうしますか?というテーマで描かれた映画が実はあります。かの有名なスティーブン・スピルバーグ監督が2002年に公開した「マイノリティ・リポート」という映画です。下にリンクをはっておきますので、興味のある方は、あらすじだけでも見てみて下さい。
まとめ
よって、精神的自由と経済的自由をわける理由は、次のふたつにまとめられます。
- 精神的自由は経済的自由よりも傷つけられやすく、いったん傷つけられると、民主主義の過程での回復が困難になるため、制限が許されるかどうかを慎重に判断する必要があるため、わけて考えるべきである。
- 経済的自由は、お金に関する自由であり、自由を認めると一部の者だけが暴利をむさぼり、貧しいものはますます貧しくなるといった貧富の差が拡大しかねないため、国家による制限は精神的自由よりも大きくても構わない。
といった視点で考えられています。自由権の侵害があった場合に裁判所がどの程度積極的に人権保障をするのかの基準が精神的自由権と経済的自由権では異なっているのです。したがって、このふたつをわけて議論する必要があるのです。
教科書などを見ていると、当然のように区別し、区別の理由は書かれていないことが多いですが、区別の理由がここにあることを意識することで、より人権への理解が深まることと思いますので、参考にしてくだされば、幸いです。
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